音楽をスクールで教える。これは多くのミュージシャンが行っていることです。 また音楽を学校で勉強した方の中には、ミュージシャンではなく最初から教える側になりたい、と思って音楽の勉強を行っていた方も多いでしょう。 ただ世間に名が売れたミュージシャンならいざ知れず、余り一般的に知られていないミュージシャンに取って、個人スクールを開くのは結構敷居が高いものです。そうなると既にある音楽学校に「就職」する、という形でないと、教える立場になるのは難しいということになります。 ではそのような就職先としては、いったいどういうところがあるのでしょうか。 楽器店のレッスンで教える 音楽楽器を販売している楽器店では、販売だけではなく楽器のレッスンを行っているところが多くあります。そういった楽器店のレッスン講師として雇ってもらうというのが、比較的簡単に音楽を教える職に就く方法です。 もちろん採用にはその店ごとの条件があり、音楽関係の大学、または音楽の専門学校の卒業が条件に含まれている場合もあります。そして当然ですが実技テストがある場合がほとんどです。 もしも希望の楽器店があるのでしたら、採用要項を閲覧してみて、自身の条件と合致するか確認してみましょう。 音楽教室の講師として教える ヤマハ音楽教室やシアーミュージック、そしてカワイ音楽教室のような、事業として音楽教室を展開している企業に雇ってもらうことも一般的な音楽系の就職先です。 これらの学校のほとんどは大手なので、しっかりとしたHPを持っていて、そこで随時採用情報が確認できます。希望の地域の採用募集がされていないか、まめに確認するのがお勧めです。また近所にそのような大手音楽教室がある場合、一度直接訪問してみるのもいいかも知れません。 小、中、高等学校の音楽教員として教える 前提として教員免許を持っている必要がありますが、学校の音楽教員の募集も時にはあります。しかしこれはとても狭き門で、募集自体もそれほど多くはありません。また正規ではなく非常勤講師としての募集も多く、正規になるまで根気強く現場経験を積まなければならない場合もあります。 SNSなどで生徒を募集する 個人スクールを開くのは敷居が高い、と最初に述べましたが、実はSNSで募集するという比較的簡単に始める方法も現代では可能です。ただ教室は自身で用意しなければならないので、そのような目途が立つ方にお勧めの方法になります。
ゲーム音楽プロデューサー
ゲーム音楽の歴史に名を残した「ドラゴンクエスト」シリーズでお馴染みのすぎやまこういち氏、ファイナルファンタジー」シリーズの生みの親である植松伸夫氏、多種多様なジャンルに挑み続けるagehaspringsの玉井健二氏。こちらではゲーム分野で活動する音楽プロデューサーを紹介します。 すぎやまこういち ゲーム好きなら知る人ぞ知る作曲家のすぎやまこういち。人気シリーズ「ドラゴンクエスト」ではほぼすべての作品を担当しており、すぎやまこういちとドラゴンクエストとは深い縁で繋がれています。 かつてはザ・ピーナッツやザ・タイガースのヒット曲を手掛けましたが、ゲーム好きが高じてゲーム音楽作曲家に転身して30余年、「最高齢でゲーム音楽を手掛けた作曲家」としてギネス世界記録にも認定されました。 ちなみに、ゲーム音楽作曲家としてのデビュー作は「ウィングマン」になります。「ドラゴンクエスト」シリーズ以外にも、「風来のシレン」シリーズなど、スーパーファミコンの黎明期に数々の作品を担当しています。 現在は日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会の名誉会長を務めています。 植松伸夫 「ファイナル・ファンタジー」シリーズの音楽の生みの親として知られるゲーム音楽プロデューサーの植松伸夫。株式会社スクウェア(現. 株式会社スクウェア・エニックス)入社後、「ファイナル・ファンタジー」シリーズをはじめ、「クロノ・トリガー」「など、約30作のゲーム作品の楽曲を手がけました。 また、サラリーマン時代には、「ファイナル・ファンタジー」シリーズに登場する黒魔道士にちなんだロックバンド「THE BLACK MAGES」(2010年8月に解散)を結成し、「ファイナル・ファンタジー」シリーズの戦闘曲やテーマ曲などを収めたアルバムを発表。数々の音楽イベントで楽曲を披露しました。 脱サラ後は新会社「SMILEPLEASE」や自主レーベルを「DOG EAR RECORDS」を立ち上げ、創作活動を行っています。 玉井健二 国内のみならず、海外の音楽通からも根強い支持を集める音楽プロデューサーのひとりです。高校時代に同級生らとインディーズバンド「Re-selve」(レセルブ)を結成し、インディーズバンドとして初の大阪厚生年金会館でのライブを果たしました。 バンドを脱退後はソロ活動、ソニー・ミュージックレーベルズ(エピックレコードジャパン)入社を経て、音楽プロデューサーとしてクリエイター系プロダクション「株式会社agehasprings」を設立。 現在はアーティストのプロデュースの枠にとどまらず、アニメ、映画、ゲーム音楽、CMなどにおいてマルチな才能を発揮し活躍しています。
Youtubeから歌手デビューする
Youtubeは歌手デビューの夢を叶えるためのツールとなりつつあります。投稿した動画をきっかけにインターネット上で話題となり、プロデューサーの目に留まれば、歌手になることも決して夢ではありません。ここではYoutubeをきっかけに歌手デビューを果たした事例を紹介します。 ジャスティン・ビーバー Youtubeで知名度を上げ、歌手デビューへの道を切り拓いた最たる例が、今や世界の頂点へと上り詰めた知る人ぞ知るカナダのポップミュージシャンのジャスティン・ビーバーです。そんなジャスティン・ビーバーが当初、歌手活動を展開していた場がYoutubeでした。ある時、その活躍ぶりがプロデューサーの目に留まり、レーベルとの契約を締結し、現在に至っています。 Maco 北海道出身、人気シンガーソングライターのMaco。彼女もまたYoutubeから歌手デビューしたひとりです。17歳の頃から地元で作詞・作曲を中心とした音楽活動をしていたというMaco。 テイラー・スイフトなどの洋楽を自分流に訳し、バラードの曲調に乗せて歌っている様子をYoutubeにアップしているうちに瞬く間に人気に火が付き、約半年で動画の再生回数が1千万回超えに。2014年4月、ミニアルバム「22」で見事インディーズデビューを果たし、配信チャートでは総合1位にランクインしました。 神聖かまってちゃん インターネットを通じてブレイクした注目のロックバンドです。2008年、Youtubeやニコニコ動画で活動を開始し、インターネットでひとたび有名になると、レーベルを移籍したり、テレビに出演したりするなどして活動の幅を広げました。 学校での居場所がなく、一人もがき苦しむなかで彼らの歌詞に救われたという方は少なくありません。当初よりmono(リーダー)、の子(ボーカル・ギター担当)、ちばぎん(ベース・コーラス担当)、みさこ(ドラムス担当)の4名での活動でしたが、2020年のツアーを最後にちばぎんが脱退し、3名で活動を継続する予定です。 米津玄師 今やトップミュージシャンの仲間入りを果たした徳島県出身のシンガーソングライターです。当初はボーカロイドクリエーター「ハチ」として、主にインターネットを舞台に活躍しましたが、その後本名である米津玄師に変更し、インディーズデビューを経てメジャーデビューしました。 2018年、TBS系列ドラマ『アンナチュラル』の主題歌として提供したシングル「Lemon」が大ヒットし、見事その曲で同年末の紅白歌合戦への初出演を果たしました。 Youtube上で公開中の「Lemon」のミュージックビデオの再生回数は1億回を超えており、日本の音楽業界のトップに君臨する秋元康を凌ぐその成長ぶりから、次代を担う音楽クリエイターとして注目を集めています。