ヒットチャートに名を連ねるアーティストも、下積み時代にはライブハウスで歌っていたという方は少なくありません。こちらでは、ライブハウスで下積み生活を送っていたアーティストを紹介します。
X JAPAN
今や日本が誇るトップアーティストへと上り詰めたX JAPAN。高校時代にバンドを結成したのがすべての始まりであり、高校を卒業後、インディーズ時代を経て、1989年4月、セカンドアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たします。インディーズ時代にはシングルを1、2作発売し、固定ファンを獲得したものの、メンバーが流動的であるがゆえに1日何十時間も練習に励む姿勢も虚しく、見切りを付けられていました。また、インディーズ時代のメンバーの素行が原因で、「関東三大粗大ゴミバンド」と揶揄され、挙句の果てには居酒屋から出入り禁止を命じられることもあったそうです。インディーズ時代における幾多も苦難を乗り越えたからこそ、今日のX-JAPANがあることは言うまでもありません。
GLAY
日本を代表するビジュアル系ロックバンド、GLAY。ヒットチャートにトップ10入りしたアルバムの枚数において、TUBE、B’zに次いで第3位の記録を有しています。そんなGLAYですが、インディーズ時代はもちろんのこと、さらにはメジャーデビュー後もライブハウスで音楽活動を続けていました。1994年5月、エクスタシーレコードからインディーズアルバム「灰とダイヤモンド」、プラチナム・レコードからファーストシングル「RAIN」の同時発売によりメジャーデビュー。その後、1996年発売のセカンドアルバム「BEAT out!」で初のオリコン1位を獲得し、同年発売のサードアルバム「BELOVED」ではミリオンセラーに。そして、翌年に発売されたベストアルバム「REVIEW-BEST OF GLAY」の累計売上枚数は480万枚を突破し、当時のアルバム売上日本記録を更新しました。
SEKAI NO OWARI
高校時代に出会った4人のボーカルであるFukaseは、高校中退後に通ったアメリカンスクールで言語や生活習慣の違いからパニック障害を発症し、精神病院に入院していた時に「世界の終わり」を感じます。その時、自分に残された音楽だけを頼りに、Nakajin、Saori、そしてDJ LOVEとともに音楽活動をすることを決意します。その後、印刷工場を再利用し、メンバーが資金を出し合い作ったライブハウス「club EARTH」でオリジナル曲を披露するなどの下積み時代を経て、2010年、Lastrumより期間限定シングル「幻の命」でインディーズデビュー。初ライブの観客数がわずか15名と、絶望を味わうこともありましたが、年を追うごとに作品性が徐々に認められるようになり、今日では音楽業界に不動の地位を確立しています。