日本でも当たり前のように目にする路上ライブ。駅前の広場や人通りの多い公園などで多く見かけますね。海外では路上パフォーマンスの事を「バスキング」といいます。 SNSや動画サイトなどいろいろな発表の場所がある現代ですが、自分の演奏を聴いてもらいたいと思った時にバスキングは一つの選択肢にいれてもよいのではないでしょうか。 バスキングの利点 バスキングをやれば多くの人の目に自分のパフォーマンスを届けることができます。そして即座に反応を感じ取る事ができます。パフォーマンスが受け入れられれば、お金も得る事ができます。 バスキングに関しては日本より海外の方が好意的な反応が得られる事が多いようです。差し入れや仕事のオファーがその場でくる事もあります。なかにはバスキングだけで生計を立てていたり、バスキングをやりながら世界中を旅したりという人たちもいるそうです。 日本で路上ライブをするには なにげなく目にする路上ライブですが、「道路交通法」には「道路を使用するには許可が必要」と明記されています。現実にはライブ目的で許可をとる事は厳しいようで、許可なしで活動している人もいます。 しかし、いつ警察に通報されてもいい状態なので落ち着いてパフォーマンスできないですよね。そこで東京では「ヘブンアーティスト制度」というものが制定されています。 これは審査に通ったアーティストに公共施設や民間施設などを活動場所として解放しているもので、都民が気軽に芸術文化に触れられる機会を設けるのを目的としています。その他、井之頭公園や、柏駅周辺など許可証の発行を独自で行っている場所もあります。私有地では所有者の許可が必要です。 海外でバスキングをするには 海外でもバスキングをする場合は許可が必要なことがほとんどです。例えば、ロンドンの地下鉄で演奏をするには厳しいオーディションを通過しなければなりません。オーディションもなく住所や連絡先と使用料だけで申請できる場合も多いので、あらかじめ調べていくと慌てなくてすみますね。場所によってはインターネットで申請出来る場所もあります。 バスキングの注意点 あまりにも狭すぎる道でのバスキングは向きません。通行の邪魔になりますし、たとえ興味を持ってくれた人がいたとしても、立ち止まって鑑賞することができないからです。点字ブロックも塞がないように注意が必要です。 また公園の入り口なども人通りが多く迷惑になる事があるので選ばないほうがいいでしょう。公共の場ということを忘れずに、パフォーマンスが終わった後はゴミや汚した場所がないか確認しましょう。
映画音楽プロデューサー
映画分野に軸を置きつつ活動中の音楽プロデューサーで有名どころと言えば、坂本龍一や久石譲ではないでしょうか。さらに、若者を中心に支持を集める中田ヤスタカもそのひとりです。ここではそんな高名な映画音楽プロデューサーを纏めて紹介します。 坂本龍一 日本における映画音楽プロデューサーの代表格として知られるのが、かつて音楽グループ「YMO」のメンバーとして活躍、現在は音楽プロデューサーのほか、作曲家、編曲家、ピアニスト、大学教授などの肩書きを持つ坂本龍一です。彼は英国アカデミー賞を受賞した1983年初公開の『戦場のクリスマス』、2005年に公開された『星になった少年』など、さまざまな映画に使われる楽曲を手掛けてきました。 久石譲 スタジオジブリでお馴染みの久石譲。『魔女の宅急便』や『天空の城ラピュタ』など、世界的に愛されるジブリ作品のエンドロールで「久石譲」の名前を見たことがあるという人は多いことでしょう。 彼の活躍はジブリ作品にとどまらず、北野武作品とも縁が深く、例えば『HANA-BI』(1997年公開)や『菊次郎の夏』(1999年公開)において実績を残しています。その他、浅田次郎の同名の小説を映画化した『壬生義士伝』や戦争映画でもマルチな才能を発揮しています。 中田ヤスタカ 20代や30代の若者世代を中心に支持を集めています。2001年にメジャーデビューした音楽ユニット「CAPSULE」のメンバーとしての活動を並行しながら、時には音楽プロデューサーとして、きゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeの楽曲を担当してきました。 YMOや渋谷系をベースに編み出された独自の世界観を特徴としており、多くの熱狂的なファンを取り込んでいます。映画分野では、2002年公開映画『うつつ UTUTU』でデビュー後、スタジオジブリの実写作品部門「スタジオカジノ」の作品などの楽曲を手掛けています。 菅野祐悟 近年、注目を集めている音楽プロデューサーのひとりであり、ドラマ、アニメ、映画、ミュージカル、ゲーム、CM、クラシック音楽…と幅広く活躍しています。映画分野の音楽プロデューサーとしては、2010年公開映画『アマルフィ 女神の報酬』で日本映画批評家大賞・映画音楽アーティスト賞および日本シアタースタッフ映画祭音楽賞を受賞しています。 彼の代表的作品には、福山雅治が主演を務めた映画『容疑者Xの献身』『真夏の方程式』をはじめとする『ガリレオ』シリーズが含まれます。概して福山雅治の作品と縁が深い方であり、ジャーナリストとギタリストとの恋物語を描いた福山雅治主演の2019年公開映画『マチネの終わりに』の音楽も担当しています。
日本国内の音楽イベント!
日本各地で開催される音楽イベントもアーティストにとってのお披露目の場のひとつです。こちらでは日本各地で開催される主要な音楽イベントを紹介します。 Japan A cappella Movement 毎年11月に開催されている日本最大級のアカペラの祭典であり、「JAM」の愛称で親しまれています。当時筑波大学のアカペラサークルに所属していた日本のアカペラボーカルグループ「RAG-FAIR」のメンバーである奥村政佳らにより、1999年に発足。原則としてアーティストはジャンルを問わず参加可能ですが、毎年200件を超える応募のなかからオーディションを勝ち抜いた10組のバンドに対し出場資格が与えられます。イベント自体は関東圏の大学のアカペラサークルに所属する大学生や社会人の有志により運営されており、それゆえ開催も関東に限定されますが、遠方で参加できない方は、イベントをテレビを通じて観覧することができます。 神戸ジャズストリート 日本におけるジャズの発祥地である神戸にて、1981年以降、毎年10月に開催されている音楽イベントです。オランダのジャズイベント「ブレダ・ジャズフェスティバル」と提携しており、ブレダでの受賞者が神戸ジャズストリートに招待されます。三宮、北野坂、トアロード周辺の教会やホテル、パブなどにて国内外のアーティストによる即興演奏を堪能することができます。同様のイベントとして、ジャズの日である毎年4月4日に「KOBE JAZZ DAY」、毎年5月には「KOBE JAZZ FESTIVAL」が開催されており、併せてジャズをお楽しみください。ジャズの神戸発祥については、1923年、日本で初めてプロのジャズバンド「井田一郎とラッフィング・スターズ」が神戸で誕生したことに由来します。 シンガーズセレクション 2013年以降、月に2~3回のペースで、東京都内のクラブやライブハウスを中心に開催されている音楽イベントです。”若手シンガーの登竜門”として位置付けられており、巷では「シンセレ」の愛称で親しまれています。イベントにはTBS系列ドラマ『タンブリング』の主題歌を提供した「Honey L Day」、名曲「青いベンチ」のサスケも出演しています。2013年2月、作曲家の真平と若手シンガーとのセッションのために江古田クラブドロシーで開催したのが始まりであり、それ以降はアクセスに便利な渋谷や新宿にてイベントを開催しています。当初は男女混合で開催していましたが、近年では男性アーティスト、女性アーティストに分けて開催しています。
日本の4大音楽フェス
真夏の炎天下で開催される音楽フェスは、アーティストにとって自身の作品を披露する絶好のチャンスでもあります。ここでは、日本国内において4大音楽フェスと称される「FUJI ROCK FESTIVAL」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」「RISING SUN SUMMER FESTIVAL」を紹介します。 FUJI ROCK FESTIVAL 1997年以降、毎年7月下旬または8月上旬に、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されているロックフェスであり、巷では「フジロック」の愛称で親しまれています。フェスの名称にもある「FUJI ROCK」は、初回が山梨県の富士天神山スキー場で開催されたことに由来します。なお、富士山麓で開催されたのは1997年のみで、1999年以降苗場スキー場での開催が恒例となり、現在に至っています。近年は前夜祭を含め4日間の日程で開催されています。会場内には、国内外の大物アーティストのライブが繰り広げられる「グリーン・ステージ」を中心に、「ホワイト・ステージ」、フジロック唯一の屋内ステージ「レッド・マーキー」、木々に囲まれた「フィールド・オブ・ヘブン」、さらには少人数の観客を収容可能な小ステージも用意されています。 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 毎年8月上旬、茨城県の国営ひたち海浜公園で開催されている日本最大のロックフェスです。”ロック”フェスでありながら、ロックに限らず、多彩なジャンルの総勢200組を超えるアーティストが茨城の海岸に集結します。「アーティストではなく、参加者ひとりひとりが主役となったロックフェス」として、2000年以降、TOKYO FM(2015年まではニッポン放送)主催で開催されています。会場内には、国内野外フェス最大級の広さを誇り、東京ドーム4個分に相当する「グラス・ステージ」のほか、「パーク・ステージ」、「レイク・ステージ」、「サウンド・オブ・フォレスト」、「バズ・ステージ」、「ウィング・テント」、「ヒルサイド・ステージ」、「シーサイド・ステージ」の7つのエリアが設けられています。 SUMMER SONIC 毎年8月、東京会場(厳密に言うと千葉県)と大阪会場の2ヶ所で同時開催されている都市型ロックフェスであり、巷では「サマソニ」の愛称で親しまれています。「日帰りで気軽に行ける」をコンセプトとしており、近年では20代や30代のみならず、中高年も楽しめる音楽イベントとして、老若男女を問わず魅了しています。 RISING SUN SUMMER FESTIVAL 毎年8月、北海道小樽市の石狩湾新港で開催されている日本最大級の野外オールナイト型ロックフェスです。ロックの枠にとらわれず、テクノ系やレイヴ系など、多種多様なジャンルが揃っています。ロックテイストが強く、ロックにどっぷり浸りたい方におすすめです。
ライブハウスでの経験
ヒットチャートに名を連ねるアーティストも、下積み時代にはライブハウスで歌っていたという方は少なくありません。こちらでは、ライブハウスで下積み生活を送っていたアーティストを紹介します。 X JAPAN 今や日本が誇るトップアーティストへと上り詰めたX JAPAN。高校時代にバンドを結成したのがすべての始まりであり、高校を卒業後、インディーズ時代を経て、1989年4月、セカンドアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たします。インディーズ時代にはシングルを1、2作発売し、固定ファンを獲得したものの、メンバーが流動的であるがゆえに1日何十時間も練習に励む姿勢も虚しく、見切りを付けられていました。また、インディーズ時代のメンバーの素行が原因で、「関東三大粗大ゴミバンド」と揶揄され、挙句の果てには居酒屋から出入り禁止を命じられることもあったそうです。インディーズ時代における幾多も苦難を乗り越えたからこそ、今日のX-JAPANがあることは言うまでもありません。 GLAY 日本を代表するビジュアル系ロックバンド、GLAY。ヒットチャートにトップ10入りしたアルバムの枚数において、TUBE、B’zに次いで第3位の記録を有しています。そんなGLAYですが、インディーズ時代はもちろんのこと、さらにはメジャーデビュー後もライブハウスで音楽活動を続けていました。1994年5月、エクスタシーレコードからインディーズアルバム「灰とダイヤモンド」、プラチナム・レコードからファーストシングル「RAIN」の同時発売によりメジャーデビュー。その後、1996年発売のセカンドアルバム「BEAT out!」で初のオリコン1位を獲得し、同年発売のサードアルバム「BELOVED」ではミリオンセラーに。そして、翌年に発売されたベストアルバム「REVIEW-BEST OF GLAY」の累計売上枚数は480万枚を突破し、当時のアルバム売上日本記録を更新しました。 SEKAI NO OWARI 高校時代に出会った4人のボーカルであるFukaseは、高校中退後に通ったアメリカンスクールで言語や生活習慣の違いからパニック障害を発症し、精神病院に入院していた時に「世界の終わり」を感じます。その時、自分に残された音楽だけを頼りに、Nakajin、Saori、そしてDJ LOVEとともに音楽活動をすることを決意します。その後、印刷工場を再利用し、メンバーが資金を出し合い作ったライブハウス「club EARTH」でオリジナル曲を披露するなどの下積み時代を経て、2010年、Lastrumより期間限定シングル「幻の命」でインディーズデビュー。初ライブの観客数がわずか15名と、絶望を味わうこともありましたが、年を追うごとに作品性が徐々に認められるようになり、今日では音楽業界に不動の地位を確立しています。
バックバンド
バックバンドと聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?一流じゃない人たちが務める仕事?それとも技術はあるけど芸術的表現力はないミュージシャン?いいえ、実はそうじゃないんです。 バックバンドは、実力も才能もあるミュージシャンが何らかの理由で、しかもそれは大概「運」というものの欠如によって、ただそれだけの理由で務めている場合が多いのです。だからそんなミュージシャンにその運が舞い降りたら、そこから一気にメジャーアーティストとしての道が開けたりするのです。 ここではそんな実例を紹介して行きたいと思います。 ザ・バンド あの有名な音楽情報誌「ローリング・ストーン」誌が選んだ「歴史上最も偉大な100組のグループ」において、第50位に選ばれたロック・バンドがこの「ザ・バンド」です。2008年年にはグラミー賞でLifetime Achievement賞も受賞しています。 1968年デビューのバンドなので、今時の音楽ファンは余り馴染みがないのも仕方がないことかも知れませんが、しかしこの偉大なバンドも、実は有名アーティストのバック・バンドを務めていたことがありました。 そのアーティストの名は「ボブ・ディラン」。そうです、あの史上最も有名で偉大なアメリカのシンガーソングライターです。 2016年には歌手として初めてノーベル文学賞を受賞したことで、若い音楽ファンにもよく知られた存在かと思われます。ボブ・ディランがフォークシンガーとしての枠を越え、ロックという音楽をも包括しようと音楽性の幅を広げた時期に、その手助けをした、と言っていいのがザ・バンドの面々だったのです。 その後、その実力が認められメジャーデビューすることになったザ・バンドは、映画「イージーライダー」でその曲が使用され、大衆の注目を浴びるようになり、偉大なロックバンドへの道を進んでいくのです。 バッド・フィンガー ビートルズという余りにも大きな光の中に埋もれてしまったバンド。「バッド・フィンガー」にそういうイメージを持っているロックファンも多いかも知れません。 バンドがバラバラになりつつあったビートルズの、その各々のメンバーのソロ活動を支えるバックバンドとしての活動を行いながら、バッド・フィンガーはバンドとしての知名度を徐々に上げ、1971年にはシングル「Day After Day」が米国チャートで最高4位を記録。既に解散していたビートルズの後継者としての道を歩み始めたかに見えました。 しかしその後大きなヒットシングルに恵まれず、所属レコード会社の問題なども発生。メンバーの不幸もあり、時代の中に消えて行ってしまうことになりました。